親のすねは骨の髄まで

「お母さん、娘さんは限界です」

 

2020年6月、その日は公務員試験の当日でした。試験に行けなかったのです。いや、行きませんでした。失敗する恐怖からいけませんでした。泣きながら、母に行けなかったごめんなさいと電話を掛けました。母は大丈夫と言いながらゼリーとアイスを買って家まで駆けつけてくれました。次の日、精神科にかかり躁鬱の診断が下されました。

 

なにが原因なのかいまだにわかりませんが、いうならば生活してきたすべてが要因なのでしょう。気にしすぎな性格が起因ではあると思っています。もともとそのような性格ではなかったのですが。

 

とにかく診断されたとき、母は精神病を毛嫌い(日本語があってるかわかりませんが💦)している類の人ですので、薬の処方を嫌がりました。先生が「お母さん、娘さんは限界です」と語気を強め説得してくれました。そこから今に至ります。だいぶ良くなってきました。

 

地方の山奥で一人っ子として生まれ、両親が離婚し、祖父母の下で育ち、母は生活保護を受けることを恥だと思っていたので、昼も夜も働き、私は何不自由なく育ちました。大学受験は塾に通わせてくれたにもかかわらず失敗し、私立大学に通うことになりました。たくさんのお金がいるし本当に申し訳ないと思いました。思えば高校三年生のころには、うまく言葉が出なかったり、簡単な文字も書けなくなったり、今までできていたことが急にできなくなったり、勝手に涙が出てきたりと鬱の症状が出ていたのでもうだめだったのかもしれません。

大学に上がってすぐに私もアルバイトを掛け持ちし、学費は母が出してくれたりしていましたが、生活費諸々母の仕送りなくやりくりをしていました。二年次に上がるころには自分で学費を払うようになりましたが、母は相変わらず、昼も夜も働きました。そんなある日、母が居眠りで立て続けに事故を起こしました。母の兄弟には以前から、「姉が昼も夜も死にそうなくらい働いているのはお前のせいなんだから」など責められていましたが、とうとう直接呼び出され「姉を殺すな」、「お前がそんなんだから」など叱責される毎日でした。身内だろうと人に迷惑をかけるのが嫌いなのが私の性格なので、ここで爆発し、鬱の症状に拍車がかかりました。加えてバイト先での仕事への不安、人間関係、将来への不安などすべてがストレスでした。

 

数か月後、母は仕事をやめては転職を繰り返し、現在はフリーターです。母はそれでも私の夢を応援してくれているので、一度就職が決まっていましたが、大学院の進学を勧めてくれました。

そういえば小学生のころ算数の教科書を失くしてしまい泣きながら母に相談したことがありました。「ママが何とかしてあげる」と言って寝かされて朝起きると算数の教科書があったことがありました。いつだって母は私の味方なのでした。

 

先日私は数年前の母と同じく不注意で事故を起こしてしまいました。相手がいる事故でした。相手の方にも申し訳ないと思うと同時に、ああまた母に迷惑をかけるなと思いました。お金がないのにまた大金を使わせてしまうと。それでも母はやはり「ママが何とかしてあげる」というのでした。情けないし、申し訳ないしで、早く私は死にたいです。

 

親はすねを差し出して子どもに骨の髄まで吸わせるのでした。吸わせないと生きることもできない出来損ないに温情をかけてくれているのでした。それはやはり親故の愛なのでしょうか。